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16歳になり免許取得頃に友人からAR50が地元のバイク屋に長期在庫で残っているのを聞きつけ、バイク屋の親父に『135000円で乗り出しなら買う!』と言い、安く売って貰ったAR50!当時RZ50もすでに販売していたが、なぜかARを選んだ。
当然最初は完全ノーマル!
『スーパーモンキー』と言うメーカーの50と80共通のチャンバーを購入し使用していた。当時筑波山に来ていたARは結構『スーパーモンキー』信者が多かった記憶があります。
峠に行き始めの頃は高校に行く前AM6時頃から7時半ぐらいまで毎朝、筑波山まで通い早朝練習をしていました。
そして自信がついてから土曜日、日曜日の昼間フルーツラインへデビュー!!
要するに高校の時の部活は『筑波山走行部』だったような、、。
  実はこのシングルシートはベニヤ(木製)なんです!
当時まだあまりシングルシートとかが販売されてなく、私の実家が建具屋さんということでベニヤ、木材、接着剤、とのこなどを使用しプレスなんぞも、持ち出して制作しました。
釘、ネジを使用していないのがちょっと
自慢!
派手に転倒したらあたり一面ベニヤが散らばりタンクが吹き飛ぶ(ARはゴムで止めてあった為)というすごいことになっていた

この当時はまだカワサキパーツの入荷が
非常に遅くて部品待ちの度に全塗装をしてた。

ポート加工⇒焼きつき⇒オーバーサイズピストン+ポート加工の繰り返しでかなりの数のシリンダーを消費しました、、。
パワーバンドは約500回転、、、。
半クラッチ&アクセルワークはこの時に勉強したようです。
当時メーター読みで120キロ近く出ましたね(50ccです)
後から聞きましたが80ccだと思われていたらしい(登りで80cc抜いてましたし。)
峠、全盛期の頃のワンショット!
誰にも負ける気がしなかった!(でも実際は2〜3台に負けた)
早そうなバイク(50〜大型まで)を見つけては下りで抜くことに最高の
快感を得ていたような!
その後中型2輪免許を取得、『峠の走り屋』に限界を感じ、主戦場を筑波サーキットへ!
現在もたまに筑波山付近は車で通過しますが、今思うと『よく死ななかったな』って、、。

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